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葬儀屋バカ一代

葬儀屋のブログ。誰もが気になる葬儀の話。実際にあったおかしな葬式や失敗談、仏事で役立つ葬儀豆知識など。

遺品整理・遺品処分・遺品回収を依頼する前に...

葬儀のニュース・トピックス 喪主・遺族の知っておきたい知識

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遺品整理の依頼が増えている。

 

そんな中、遺品整理に関する興味深い記事があったので紹介させていただく。

 

遺品整理・遺品処分・遺品回収を依頼する前に...

 

売れる 売れない 売らない

 

中高年向けの週刊誌から取材の依頼があった。 その週刊誌の特集記事は「遺品整理」であり、私の元に届いた企画趣旨は以下のよう。

 

最近、親の遺品整理が問題化している。親が残した遺品は膨大な量で、それを片づけるには大変な時間と労力がいる。かといって、整理業者に頼んだとしても、これまた大変な費用がかかる。なので、少しでも負担を軽くするために、可能な限り遺品を効率良く売る方法を読者に提供したい。

 

もっともなことだと思う。けれど、あいにく、私は遺品を効率よく売るための知識は持ち併せておらず、残念ながら、この取材には応えることができなかった。

 

けれど、実のところ、その取材に応えることができなかったのは、売る知識がなかったという理由ではなく、親の遺品整理に絡む子の側の根深い心理的な事情を慮ったから。

 

事実、子が持つ親の遺品への想いは様々で、整理の対象はモノかもしないけれど、実際は、生前の親との関係性が遺品に反映されてくる。売るとか、売れるとか、お金になるとか、ならないとかの問題以前の問題が横たわっているもの。

 

ところで、私自身も今年の夏、母が亡くなり遺品の整理を経験している。私の場合、母が残していったたくさんのモノたちは、そもそも遺品と言えるのか疑わしいものばかり。

 

買いだめの癖があり、しかも、始末が苦手だった母が残していったモノたちのほとんどが日用品。 それは、街で配られて受け取ったテッシュペーパーであったり、粗品のアルミホイルであったり、病院から必要以上に処方された貼り薬だったり、通販広告にのって購入した、飲み切れなかった多種類の栄養補助食品であったりと、およそ売れるという範疇に入らないものたち。大量の衣類も古びた品ばかりで、形見となるようなモノはまったく見当たらなかった。

 

要は、本来、捨てるべきものが放置され、忘れ去られていたモノばかり。遺品整理というよりは、ゴミ・ガラクタをひたすら始末をしたといった感覚。お蔭で、旅立って行った母に対して、「立つ鳥跡を濁さず」という格言を、肩代わりしてあげたような気持ちにもなったものだ。私にとっては、これが、本当に最後にした少しばかりの親孝行だったのかもしれない。

 

けれど、これが趣味人、教養人の親であったならば、こうはいかない。趣味で買い集めた美術工芸品の数々。丹精こめて作られた手芸品。あるいは、積み上げられた文学全集や歴史書等々。親の暮らしぶり、生き方の姿勢が思い返される品々は、おいそれとは売る気にはならない場合がある。

 

しかも、それらが膨大な量であるとしたら、子は、それらの整理に立ち向かう気力は萎えてしまうもの。結果、何年もの間、手をつけられことなく放置されることになる。 そして、ようやく気持ちに「ふんぎり」をつけ、処分をしようとしても、今度は、遺品に込めた感情的な価値がそれを阻む。

 

つまり、遺品を引き取りに来た業者の査定金額にどうしても納得がいかないのだ。 それは、かつて親が買い集めるに費やしたであろうお金と時間と労力、また、親を誇る気持ちが加算され、子が遺品に期待する査定価格には、どうしても業者の値踏みとの大きな乖離ができてしまう。

 

そんな安い値段でしか引き取ってもらえないなんて、あんまりだ。なんて失礼な。親の長年の苦労を思うと、とても忍びなくて売れない、となる。

 

そう、同じ「売れない」でも、私の例のように「売れるシロモノではなかった」というモノの価値の場合と、心情的に売るに気になれない「売れない」とは、まったく違う話。 しかも、泣く泣く売ったとしても、「もっと高く売れただろうに」という外野の無責任発言に悔しい思いをさせられることもある。

 

言うなれば、遺品を心置きなく売るためには、売って少しでもトクをしたと思えるためには、こんな条件が揃う必要がある。 親の終末期にまがりなりも手を尽くし、心もかけたという思いがあること。 親の遺品の価値に対して思い入れが少ないこと。 親の残したガラクタに値段がつくだけでも有り難いと感じられること。

 

つまり、 もう充分に親の世話をしたという気がある。 親の趣味志向にはまったく関心がない。 そもそも親のモノを売る気はない。 この三つの気持ちが揃ってこそ、子は「あれ、意外とこんなものでも値がついて売れるんだ!」というお得感を持てるのだと考える方が妥当だろう。

 

では、この三つが揃わない場合はどうしたらいいのか。 それはもう、親の遺品整理は葬式か法事の一種とみなす他はない。葬式という慌ただしくもある儀式とともに、どさくさ紛れで一気に手をつけるか。それとも、幾度もある回忌法要のごとく、供養の一環として時間をかけて少しずつ折り合いをつけていくか。

 

いずれにしろ、遺品整理は先に逝ってしまう親への供養。そして、供養とは、この日本の現実社会の慣習では、時間もお金も手間もかかる沙汰であることを踏まえておくことが賢明なのかもしれませんね。

 

どうでしょう? 

 

やましたひでこ

 

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