ひと昔の葬式の定番と言えば、ド派手な宮付きの霊柩車に、これでもかと並ぶ花輪でした。
人生の労ねぎらい立派な霊柩車でご遺体を搬送する。
斎場には盛大に花輪が飾りつけられ、壮大な儀式が執り行われる。
こうした事情から、花輪と宮型霊柩車は、絶大な人気を博していました。
しかしここ10年でそんな葬儀の様相は一変しました。
宮型霊柩車はキャデラックやクラウン、エスティマなどの洋型霊柩車に、花輪は生花に取って代わられました。
地方に行けばまた少し状況は変わるようですが、東京近郊で宮型霊柩車や花輪を見かけることは、ほぼ無くなりました。
宮型霊柩車に花輪といった葬儀らしい葬儀は何故消滅の危機に瀕しているのでしょうか?
霊柩車
住民からの苦情
街中で霊柩車に遭遇して、良い気分になる人はいません。
それでもまだ、たまにしか見かけない普通の人は良いかも知れません。
しかし、斎場の近くに住む住人などは、たまったものではありません。
四六時中家の前を行き来する霊柩車に、もうウンザリ。。。
こうした近隣住民の苦情もあり、東京近郊の斎場やお寺、火葬場では、宮付き霊柩車の乗り入れそのものを禁止している場所が数多く存在します。
(豪華な宮型霊柩車)
初期・維持費用
宮付きの霊柩車はそれ自体が非常に高額で、メンテナンスにもお金がかかります。
高級車の車体をベースに寺社仏閣の建築、改修に携わる宮大工という特殊な腕を持つ職人が宮部分を製作します。
初期費用には新車で2,000万円からのお金がかかります。
デリケートな分、扱いや普段の保管にも非常に気を遣わなければなりませんし、当然メンテナンスも高額になります。
宮の素材である白木の変色や腐食、変形などなど・・・
とんだ金食い虫となってしまう訳です。
また、宮造りの寺社仏閣の減少や、宮付き霊柩車の衰退に伴い、施工を請け負う宮大工の数も減っており、作り手や改修を行う人間の確保も難しくなっています。
こうした事情から、宮付き霊柩車の所有を見送る業者が増えています。
葬儀の多様化
一昔前まで葬儀と言えば「仏式」と相場が決まっていましたが、最近は宗教も多様化しています。
神道にキリスト教など、昔ながらの宗教に加え、様々な新興宗教や、宗教とは無縁の無宗教葬も増加の傾向にあります。
仏式と神式しか対応できない宮型の霊柩車より、万能型である洋式霊柩車の出番が増えているのです。
法的な問題
しかし、宮付きの霊柩車となるとそうはいきません。
事故を引き起こす確率や、事故を起こした時の被害を最小限に食い止める為、道路交通法により、車体には外部突起物規制という厳しい規制がかけられています。
荘厳華麗な宮を積んだ霊柩車が、こうした規制をクリアすることは容易ではありません。
花輪
設備
花輪を立てる為には足場と、ある程度の土地が必要となります。
自宅などの場合、高額な費用を払って専用の足場を組む必要があります。
金銭的な負担をなるべく少なくしたいと考える大多数の人達にとって、こうした出費は到底歓迎出来るものではありません。
また、もしもそうした出費を受け入れたとしても、広大な土地を持つ農家や地主、豪邸を所有する一部のお金持ち除き、十分なスペースを確保することは容易ではありません。
よって普通の民家であれば隣近所の塀を借りて、花輪を立てさせてもらわなければならなくなります。
葬儀は近所ぐるみで出すのが当たり前だった昔と違い、人間関係の希薄になった東京近郊ではなかなかハードルが高いと言えるでしょう。
現在は斎場で葬儀を行うことも一般的になりましたが、斎場としてもそうした設備や用地を確保しなければならないというデメリットがあります。
また、花輪は強風で倒壊する恐れもあります。
更には上記の通り、目立つ葬儀は斎場近隣住民からの苦情に繋がる恐れもあります。
こうした理由から宮付き霊柩車同様、花輪が禁止されているお寺や斎場は数多く存在します。
花輪・霊柩車
目立ちたくない
宮型霊柩車や花輪は兎に角目立ちます。
ひと昔前は葬儀といったら目立たせることが第一でした。
しかし、現在は家族葬が主流であることからも分かる通り、近しい人間だけでひっそりと送り出してあげたいという遺族が増えました。
近所付き合いも希薄になり、なるべく周囲に知らせたくない、関わりを持ちたくない。
葬儀の打ち合わせの際、わざわざ葬儀屋の担当者にジーパン、Tシャツで自宅に来るよう、指示する遺族さえいます。
自宅に花輪が立てられ、宮付き霊柩車なんかに来られた日には、目立ってしょうがない。
そうした事情が宮付きの霊柩車や花輪を遠ざける大きな要因となりました。
(洋型霊柩車)
最後に
今後もこうした流れは地方でも加速していくでしょうから、宮付き霊柩車や花輪が文献の中でしか見られない時代の到来も、近いのかも知れませんね。
個人的にはこうした葬儀らしい葬儀はというのは、決して嫌いではないのですが、これも時代の流れですから、致し方ないのでしょうね。
とは言ってもやはり少し寂しい気はするのですが。。。
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いやいや、読んでくださいm(__)m!