弔電・参列の注意事項
死者に向けられる
「安らかにお眠りください」
「安らかにお休みください」
「安らかにご永眠ください」
弔意を表す表現として、葬儀の挨拶や弔電の常とう句(決まり文句)ですが、
厳密に言えば仏教において、こうした表現は正しくありません。
葬儀で当たり前に使っているこれらの表現が、突然「正しくない」と言われて、
えっ!?
っとなっている人も多いでしょう笑
「安らかに眠る」が広まった背景
間違っている理由を語る前に、何故この言葉が定着したのか、その理由から見ていきましょう。
そもそもこうした表現が一般的に使われるようになった原因は、いくつか考えられそうです。
労い(ねぎらい)
釈迦は「生きることは苦しみだ」と説きました。
確かに多くの人にとって生きることは、数多の困難との闘いです。
特にの現代社会は、時間に追われ、仕事に追われ、生活に追われ・・・
何かと生き辛い時代です。
ようやくそうした世界から解放された故人に対して、「ゆっくり休んでください」と長年の労をねぎらいたくなる気持ちはよくわかります。
死者への畏怖(恐れ)
古来の日本では死はケガレたモノとして受け止められていました。
人々はそのケガレを少しでも遠ざけることに腐心し、死者の霊が暴れないように、様々な儀式を慣例化させてきました。
以前下記の記事にも書きましたが、実際にその多くを現在の葬儀でも見ることが出来ます。
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陰陽師などが政府の重要な役職として存在していたことからも分かる様に、当時の人間の怨霊や悪霊などの霊に対する恐怖心は、幽霊を怖がる我々現代人の比ではありません。
「暴れて我々に災いが降りかかることのないように、お願いだから静かにしていてくださいm(__)m」
そんな切実な願いが「安らかに永眠してください」という言葉に繋がったのでしょう。
キリスト教の影響
古代エジプトの宗教観の影響を色濃く受けた啓典の宗教(ユダヤ教・キリスト教・イスラム教)では、人は死後、やがて訪れる最後の審判により、天国行きか地獄行きかを宣告されます。
天国組は永遠に続く幸せな生活を、地獄組は永遠に続く苦しみを決定付けられる訳ですが、死後から最後の審判までの間は長い眠りの期間となります。
こうした死後への概念から「安らかに眠ってください」という言葉に繋がる訳ですが、キリスト教の影響を非常に強く受けている日本でも、いつの間にかこうした死後の概念が定着してしまったのではないでしょうか。
上記のような複数の理由が重なり、次第に「眠る」という言葉が強く、深く根付いていったものと思われます。
ちなみにキリスト教でも諸派によって若干特徴があり、正教会は『永眠』、プロテスタントは『永眠・召天』、カトリックは『帰天』を主に用いるようです。
「安らかにお眠りください」は何故間違い?
それでは本題です。
どうして「安らかに眠ってください」は間違いなのでしょうか?
それは、一言でいってしまえば、
「死者は眠らないから」
それ以上でもそれ以下でありません。
もう少し詳しく説明すると、死者は死後「浄土」に赴きます。
「浄土」と言えば極楽浄土が知名度、人気共に群を抜いていますが、要するに「仏の治めるあの世の世界」のことです。
浄土名 | 読み方 | 教主 |
霊山浄土 | (りょうぜんじょうど) | 釈迦如来 |
極楽浄土 西方浄土 |
(ごくらくじょうど) | 阿弥陀如来 |
瑠璃光浄土 東方浄瑠璃世界 |
(るりこうじょうど) | 薬師如来 |
密厳浄土 密厳仏国 |
(みつごんじょうど) | 大日如来 |
蓮華蔵世界 | (れんげぞうせかい) | 毘盧遮那仏 |
東方妙喜世界 | (とうほうみょうきせかい) | 阿閦如来 |
どの浄土に行こうとも、師匠や教え方が変わるだけで、やることは悟りを開く為の厳しい修行に他なりません。
浄土とは謂わば、先に悟りを開いた仏教界のレジェンド達から直接教えを請うことが出来る、
【超エリート仏養成センター】
なのです。
西方極楽仏教ジム・・・代表・阿弥陀如来
霊山仏道トレーニングセンター・・・センター長・釈迦如来
瑠璃光薬師涅槃道場・・・総師範・薬師如来
仏法鍛練協議組合「密厳会」・・・総裁・大日如来
学校法人「東方妙喜学園」・・・理事長・阿閦如来
仏界蓮華蔵国連合会・・・会長・毘盧遮那仏
これ以上おふざけが過ぎると各所から怒られそうなのでこの辺でやめておきますが、簡単にいえばそんなイメージです。
浄土に赴いた死者達は、仏教界のトップに君臨する如来達と優れたコーチ陣の下、有り難い教えを授かり、日々悟りを開く為の鍛練に明け暮れる。
つまり生きることに苦しむ我々を救おうと、日夜努力してくれているのです。
ましてや相手は浄土へ入門したて新人です。
そんなピカピカの一年生に向かってVIP待遇は確実とばかりに、
「安らかにお眠りください」と言ってみたところで、
「おちおち眠ってなどおられんわー!!!」
と怒られてしまう?訳です。。。
よって、
「ご浄土よりお見守りください」や「ご浄土よりお導きください」と言った類の言葉が正解となる訳です。
結局何が正解なの?
故人との思い出があれば、それを短い文章でまとめるのが一番遺族の心に響きます。
例文1
○○様の突然の訃報に、ただただ驚いております/ただただ悲しみにくれております/ただただ悔しい思いでいっぱいです(など、素直な気持ちを冒頭に。)
~思い出(短文)~
お姿こそご一緒することかなわなくなりましたが、これからはあちらの世界からご遺族様や私たちを見守っくださいね。
こんな文章が好きですね。
もっとオーソドックスなスタイルなら、
例文2
心から哀悼の意を捧げます。
遺された皆様方のお悲しみが、一日も早く癒えることを願って止みません。
あくまでも一例ですが、こんな感じではないでしょうか。
余談ですが先日、小さな孫娘が故人(祖母)にかけた言葉。
「おばあちゃん、あっちの世界に行っても私達のことを守ってね。」
こ、こやつ・・・
で、出来る!!!
∑(`□´/)